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第 9 章

「そうだったのですか……」

 話を聞き終えた千鶴さんは、複雑な感情を宿した瞳で俺を見た。

 「どういう事なのか、説明できる? 千鶴さんにしか訊けないから、こんな事は……」

 訊きたかったこととは、無論昨日の事故のことだ。
 力を発動させなかったにもかかわらず、ほぼ無傷だった俺の身体。肉体が鬼のそれに変
質しているのか、はたまた別の要因が絡んでいるのか、その疑問に答えてくれるのは千鶴
さんしかいなかった。
 緊張した面もちの俺に、千鶴さんは慈母のような笑みを浮かべて語りだした。

 「まず、耕一さんを安心させてあげますね。肉体が変質してしまったということはあり
ません。普段の私たちは、火に触れれば火傷もしますし、刃物で切られたら血も出ます。
変わらないんですよ。――人間と」

 最後の一言には、哀切と諦観めいたものを感じさせた。
 俺が一安心したように息をつくと、千鶴さんは話を続けた。

 「でもそれでは、どうして耕一さんが大した怪我も負わずに済んだのか、説明が付きま
せんね」

 「うん……」

 その通りだ。身体が普通の人間のものであるならば、俺は今頃病院のベッドの上でギプ
スに悪戯書きでもされていただろう。

 「これは推測なのですが、恐らく間違っていないと思います。耕一さんは、楓の力によ
って身を守られていたのです」

 「――楓ちゃん……? 彼女の力に、守られた……?」

 「そういう力もあるのですよ、私たちには」

 このときの千鶴さんは、どこか超然とした雰囲気を纏っているように見えた。超常の力
を持つものたちを束ねる、麗しき女神のように。

 ――柏木家の家長なんだよな……千鶴さんは。

 それにしても……他者を守護する力があったという事実も俺を驚かせたが、なによりも
俺を驚愕せしめたのは、楓ちゃんが守ってくれたという事だ。そう思うと、後悔やら慚愧
の念やらで俺は胸が苦しくなった。

 「まいったな……俺、あの子にお礼も言ってないよ……」

 「いいんですよ、楓は満足しているはずですから」

 千鶴さんがどこか意味ありげな事を言う。

 「大事な人を守ることが出来た、そう思っているはずです……」

 「……大事な人、か」

 「はい……地元を離れて、その人のいる都会の大学を目指そうかと考えているくらい、
大事に思っているんです」

 瓢箪から駒が出た。
 まさか柏木家の力の話から、楓ちゃんが志望校の選択で悩んでいる原因が判明するとは
……それも、俺絡みだったのか?! ――今日は驚くことだらけだ。

 「そ、そうだったのか……ってやっぱり千鶴さんは知ってたんだね、そのこと」

 「はい、相談を受けてましたから」

 たおやかな笑顔で、千鶴さんが言った。

 「直接そう言ったわけではなかったけれど、何となく分かりました」

 「――千鶴さんはどう思う? 楓ちゃんの……」

 「耕一さん」

 緊張感漂う声だった。俺は思わず息を呑んだ。

 「私も、お訊きしたいことがあるんです」

 「……何かな?」

 お互い、見つめ合う。沈黙は長くは続かなかった。

 「……こちらに帰ってくるつもりは、ないのでしょうか?」

 それは予想内の質問だった。
 いつかは訊かれると思っていたのだ。

 千鶴さんの言う「帰ってくる」というのは、今回のような一時的な帰郷ではなく、こち
らに定住するつもりはないのか、という意味だった。
 その裏には、もしかしたら鶴来屋を俺に継がせたいという思惑も存在していたかもしれ
ない。

 『今は、一時的にお預かりしているようなものですから』

 以前仕事の話を聞いたとき、こんなことを言っていた。その時はあえて突っ込まなかっ
たが、今思うと、やはりいつかは会長職を退いて正統な後継者――恐らく、柏木賢治の息
子たる俺に後を継がせたいと考えていたのだろうか……。

 千鶴さんの顔から目をそらし、顔も背け、沈思黙考したまま俺が答えないでいると、千
鶴さんは悲しげに呟いた。

 「やっぱり……向こうの生活を捨てることは……できませんよね」

 「いやちょっと待って千鶴さん、まだ分からないんだ」

 俺は慌てて言った。悲痛さに彩られた千鶴さんの顔が俺の心を痛ませた。

 「確かに向こうでの生活も俺にとって大切なものではあるけど、隆山の……千鶴さん達
と一緒に暮らすってのも、相当に悪くないと思ってるんだ。いや、むしろそうしたいって
気持ちは強いよ。でも、なんていうか、こう……本当に俺は柏木家にいていいのかとか、
向こうで就職先を探して社会人になってたまに帰ってくるのがいいんじゃないかとか、色
々考えちゃうんだ。だから――つまり、その、えーと……」

 思っていることを一気に吐露したら、言葉が続かなくなった。また顔を背けて話してい
たので、今千鶴さんがどんな顔で聞いているのかは分からなかった。

 「……要するに、俺が言いたいのは――」

 「…………」

 ここで嘘をついても何にもならない。本音を語っておくべきだと思った俺は、正直な気
持ちを述べた。

 「……ごめん、やっぱりまだ決められない」

 ――沈黙という名の空気が流れた。

 俺は千鶴さんが何か言ってくれるのを待っていたが、いくら待っても声を聞くことは出
来ない気がした。だが、

 「――分かりました」

 落ち着いたその声を発したのは確かに千鶴さんだった。

 「耕一さんの、思うままになさってください……でも」

 その時俺は千鶴さんの顔を見た。
 寂しげな横顔が、優しく、暖かく、母親のような微笑みを湛えて、こちらを向いた。

 「私たちは、いつまでも待っていますから――あなたが帰ってくるのを」

 
 帰宅した俺達を迎えたのは、疲労困憊した梓の無惨な姿だった。

 「……お、終わらせたから……模様……替え……」

 「姉さん、頑張りました……」

 居間でぐんにゃりと伸びている梓をマッサージしている楓ちゃんが言った。
 陸に打ち上げられたトド――はちと酷いか、まぁアザラシで手を打とう。そのアザラシ
が首を動かすのも億劫とばかりに、

 「あと……十分……経ったら……ご飯……作る……から……」

 ……流石に気の毒になってきた。いや実はちょっと面白いなー、とか外道なことを考え
てしまったのだ。

 「お姉ちゃん、今日は私が作るから休んでて、ね?」

 初音ちゃんが心配そうに言う。梓はうーとかあーとか唸りながらどうするべきか悩んで
いるようだ。
 千鶴さんも良心の呵責を感じたのか、気遣わしげな表情で梓を見ていたが、そこで良案
を思いついたように口を開いた。

 「じゃあ、今日は私がお夕飯を――」

 「ふんっ!」

 「あ、梓お姉ちゃん?!」

 最後まで千鶴さんに喋らせず、梓が奇跡の復活を遂げた。おお、気合いと共に立ち上が
るその姿の凛々しいこと。

 「よし復活! さ、夕食の用意しよっと。初音、手伝ってくれる?」

 「あ、う、うん……」

 そういって台所に向かう二人を見て、楓ちゃんがぽつりと一言。

 「……男らしい」


 夕食後は、いつも通り居間でくつろぐ。
 今日は特に面白い番組もやってなかったので、適当にチャンネルを変えたりしながら俺
はぼーっとしていた。

 それにしても、結局俺は一度も大富豪でトップを取れなかったな。
 いや悔しいって程の事じゃないけど、なんで一回も取れなかったんだろうか。

 「ところで千鶴姉、今日は耕一とどこに行ってきたの?」

 「ん? ふふ……秘密」

 「……なんか、人に言えないようなことしてきたわけ?」

 「な……なんてこというのあなたは?!」

 思うに、俺は無意識のうちに手加減をしていたのではないか。勝ちすぎても負けすぎて
も場が白けてしまうことを恐れて……。

 「だって秘密にすることでもないじゃんか。出かけるとき言ってた《思い出の場所》っ
てどこのことよ?」

 「そ、それは……」

 「やっぱり何かいかがわしいことを……」

 「梓!」

 その気になれば、多分勝てる。千鶴さんの学んできた勝利の方程式も、何度も見せつけ
られたのでこちらも利用できる。――なら、やるか?

 「どうしてそういう方向に考えるのあなたは?!」

 「だってさぁ、最近の千鶴姉を見てるとねぇ……」

 「……実の姉をどういう目で見ていたのあなた」

 「やだ、言わせないでよそんなこと」

 ならば何を求める? 勝てば王様、何でもやりたい放題だ。俺がみんなに求めること、
それは……。

 「――梓ちゃん……うふふふ……」

 「あ……あら……なんか部屋が寒くなった気が……」

 「千鶴お姉ちゃん、落ち着いて!」

 「耕一さん……!」

 「よし、やろう!」

 俺の声をきっかけになんか騒がしかった居間に静けさが戻った。そういやさっきから何
を騒いでいたのだろう。

 「これが最後の勝負だ! 柏木家大富豪大会はこの俺の勝利をもってひとまず締められ
るであろう!」

 おお、みんなの視線が集中している。ちょっとかっこよかったかな。

 「そういうわけで初音ちゃん、毎度毎度恐縮だけど、トランプ持ってきてくれる?」

 「……うん、分かった」
 
 勢いに飲まれるように立ち上がり、初音ちゃんは自室へトランプを取りに行った。

 「……大層な自信だけど、あんたもどっかで必勝法とか学んできたわけ?」

 「いや――実力を出す」

 「……耕一さん……燃えてますね……」

 「楓ちゃん……今までの俺は忘れてくれ。ネオ耕一の力をお見せしよう!」

 「あの……やっぱり《一日女王様》権は賭けるんですよね?」

 「いや、俺がなるのは《王様》さ。覚悟してくれ千鶴さん」

 ここまでほざいといて負けたらもうこの家にはいられんな、なんてこと考えていたら初
音ちゃんが戻ってきた。

 「では、始めようか……」

 
 《第4回・柏木家大富豪大会》は史上かつて無い盛り上がりを呈し、四人の従姉妹達は
皆驚愕の表情に彩られていた。

 「……まさか……こんな……」

 「お兄ちゃん……どうして今まで……」

 「……爪を隠していたのですね……」

 「私の《勝利の方程式》が……通用しないなんて……」

 「さぁ、時間も遅くなってきたから次が最後だ!」

 誰も俺がここまでやるとは思っていなかっただろう。
 今回は楓ちゃん&初音ちゃんコンビもそうそう簡単には勝てず、二位以下は常に変動し
ていた。しかし開始してから一度もトップの座だけは揺るがなかった。俺が独占している
からだ。我ながら大したものである。

 我が野望の達成まで、あと一息……行くぞ耕一!

 そして、勝利を掴んだのは――


 「結局、楓達が返り咲きかぁ……」

 「う、運が良かったみたい……」

 「……これが、勝負というものです」

 「……あのぅ、耕一さん……?」

 燃え尽きてしまった。
 魂を燃焼させ尽くしたボクサーの如く、俺は手にカードを持ったまま虚空を見つめてい
た。

 運が悪かったのか油断したのか、詰めを誤ったのかどうかはともかく、最後の勝負で、
俺は初めて最下位となってしまったのだ。
 勝利の女神とかいう胡散臭い神様が本当に存在するなら、俺はどうも彼女のタイプでは
なかったようだ。

 ……それにしても、これはちょっとないんじゃないか?

 「…………」

 俺の周りだけ闇が渦巻いているようだ。このまま闇と同化してしまいたい。

 「か、楓お姉ちゃん、どうしよう……?」

 「……私たちは、既に一度権利を得ているから……」

 「ちょっと……このままだと、際限なく沈みまくるよ……」

 「耕一さん……たかがゲームですから……ね?」

 「……………………」

 みんなの優しい言葉が、今の俺には……痛すぎるのさ……。さて、このまま荷物でもま
とめて旅にでも出るかな。

 「――耕一さんは、勝ったら私たちにどんなことをさせるつもりだったのですか?」

 その楓ちゃんの一言がなかったら、俺は本当に北の地を目指して旅立っていたかも知れ
ない――ギターを抱えて。

 「……みんなで、花見でもしようと思ってたんだ」

 「……花見?」

 異口同音であった。表情は一様にきょとんとしていた。

 「いや、桜が咲くにはまだ早いけど……別に花見じゃなくてもいいから、とにかくみん
なでどこかに出かけたかったっていうか……柏木家の春の思い出を、作りたかったんだ」

 春が二度と訪れないわけはない。また来年になればやってくる。
 でも、こうして俺達がいつまでも一緒に春の日を過ごせるかどうかは――分からないの
だ。

 だから、俺は思い出を作りたかった。季節が巡る度ごとに、「そういえばあの時は楽し
かったな」と、いつまでも心に鮮やかに思い描けるような、そんな思い出を……。

 「……では、やりましょう、お花見を」

 「うん、私もやりたい!」

 「二人とも……気持ちは嬉しいけど、それは駄目だよ」

 「ど、どうして?!」

 初音ちゃんが驚き、そして悲しむように質してきた。

 「だってさ……『何でも命令できて、どんな内容でも絶対服従』って言ったのは俺だぜ?
今の俺の言葉は、同情を誘って二人にそう言わせたようなもんだろ」

 「……でも……」

 楓ちゃんも何か言いたそうだったが、それ以上は言わなかった。

 静まり返った場に、凛とした声が響いた。

 「耕一さん……そんなこと本気で言っているなら、私だって怒りますよ」

 千鶴さんだった。いつもの穏やかな表情ではなく、冷厳な態度で彼女は言った。

 「この子達はあなたとお花見をしたいから言ったのであって、あなたに同情したわけで
はありません。今のあなたの言葉は、この子達の気持ちを無視したものです。――私の気
持ちも」

 「…………!」

 恥ずかしかった。 
 これほど自分が馬鹿だったとは、俺は今の今まで知らなかった。俺は何を勝手に決めつ
けていたんだろう。同情してくれた? 言わせた?

 そうじゃない。この子達は純粋に俺とお花見がしたかったんじゃないか。

 顔を上げることもできず、うなだれていると、

 「ほんと、呆れた馬鹿だよねあんたは」

 梓が憮然とした声でそう言った。一言もなし、だ。

 「で、いつやるの? お弁当とか作ってあげるから日取りを決めてよ」

 「わ、作ってくれるの、梓お姉ちゃん?!」

 「そりゃあそういうのは私の役目だからね。それとも千鶴姉に頼む?」

 「……梓姉さん、お願い」

 「……今のはどういう意味かしら?」

 間抜け面世界選手権というものがもしあったとしたら、このときの俺は間違いなくぶっ
ちぎりで優勝していただろう。展開についていけず、ぽかんと口を開けて見ていると、

 「お兄ちゃん、いつがいいかなぁ? まだあと一週間はこっちにいられるんだよね? ね?」

 初音ちゃんが袖を掴んで訊いてきた。

 「……そうだな……千鶴さん、仕事の方、都合つきますか?」

 「お花見の方に合わせますよ」

 先ほどの峻厳な表情は嘘のように、優しい笑顔で応えてくれた。

 「じゃあ、明後日の火曜日にしよう。梓、弁当の方は任せたぞ」

 待ってましたと言わんばかりに、梓が悪戯っぽく笑ってこう言った。

 「その代わり、明日は買い物に付き合うんだよ。大量に買い込むからね」

 へいへいと返事をして、最後に楓ちゃんにお伺いを立てる。

 「楓ちゃん、ここらでお花見に適した所はあるかな?」

 婉然と微笑みながら、彼女はこう応えてくれた。

 「隆山で最高の場所をご案内します」

 それからも俺達は、花見と言えば酒だの弁当に太巻きは必需品だのと、明後日の予定に
ついて話し合った。


 何も心配する必要などなかったのだ。
 俺は「柏木家」の一員であり、俺がみんなを必要としているように、みんなも俺を必要
としてくれている。
 この絆は、きっと何者にも断ち切ることなど出来ない。俺達がお互いを必要とし続ける
限り、永遠に。

 暖かく、優しい春の風が舞う中――
 四人の従姉妹達の笑顔に囲まれて、俺は幸せだった。


                                    (完)


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