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第 1 章

うららかな春――
 そよ風が頬を優しく愛撫し、光と共に通り抜けていく季節――
 なんてへっぽこ詩人みたいな文句はどうしたってには似合わないな、などと益体もな
いことを考えながら、俺は隆山の街を歩いていた。

 むやみに長い大学の春休みを利用して、ここ隆山へ帰ってきた俺を従姉妹達は大歓迎し
てくれた。まぁ、『大』はちとオーバーかも知れないが、決して自惚れともいえまい。久
しぶりに柏木家の門をくぐった昨日、夕食はかなり豪勢だったし、皆居間で遅くまで俺の
話を聞きたがったのだから。大して面白いとも思えないバイトの失敗談や飲み会でやった
一芸の話などを、従姉妹達は心底愉快そうに聞いてくれた。しかし飲み会のメンバーの話
をした時、何故か千鶴さんと梓の目つきが細くなったような気がしたが……何かヤバイこ
と言ったかな?

 『お友達と飲みに行ったりするの?』

 という初音ちゃんの素朴な質問に

 『大抵はそうだけど、時々女の子とかも誘うよ。やっぱ宴席には“華”がなくっちゃね』

 と答えた時……一瞬ではあったが、なんか背筋が凍るような目つきだったな。
 今後気を付けよう――なんだか浮気を気取られまいとする新婚のダンナみたいだな。


 繁華街でゲーセンなどに立ち寄り、本屋で適当に物色したりしてそろそろ帰ろうか、と
何気なく外の商店街に視線をやったところで、見慣れたものを発見した。

 ぴょこんと立った一房の髪の毛、である。いや違った。正確にはアンテナの如く髪の毛
を一房立たせた女の子だった。小物屋から出てきた彼女は友人と思しき女の子と二言三言
話し、『じゃあ、また明日』と明るく言って歩き出した。距離にして数十メートルはあっ
ただろうが、意識を集中すれば落ちた小銭の音も聞き分けることができるであろう俺の耳
には、はっきりと彼女がそう言ったのが聞こえたのだ。鬼の血も便利なものである。

 ごく普通に『やあ、今帰りかい?』と言って一緒に帰ればいいものを、何故か俺はそう
しなかった。無駄なことに命を懸けるのが男の生き様ってもんよ。

 立ち読みをするフリをして彼女が店先を通り過ぎるのを待つと、俺は素早く店を出た。
あ、本買うの忘れた。許せ本屋のオヤジ。今は一刻を争う時なのだ。

 あと二時間ほどで完全に日が落ちるであろう春の夕暮れの中、俺は先刻の彼女を尾行し
だした。さてこの後どうしよう。奇抜な声のかけ方といえば……

 『ねぇ彼女、お茶しない?』 

 いかん、あまりにも陳腐だ。俺の卓越したギャグセンスが許さない。ならば、

 『すいません、あなたは神を信じますかぁ?』

 信じませんさようならとか言われたらどうしよう。いやまさか彼女に限ってそんな……
くそ、だったら、

 『そこのアナタ! 左肩におかしなものが取り憑いてますよ!』

 ……周りの人が聞いてたらどうするんだよ、おい。

 なんてこった、どどめ色の脳細胞を誇る俺の頭脳が全く良案を思いつかない。しかしこ
こで彼女の方から声を掛けられたりしたらまるでマンガだな。

 「……何がマンガなの?」

 「どわっ!」

 夜中腹が減って台所で食物を探していたら足下を何かがさっと横切った時と同じくらい
驚いた。

 「や、やぁ初音ちゃん。今帰りかい?」

 顔を上げて正面から俺の顔をのぞき込んでいた彼女にそう言う俺。これほど恥ずかしい
結末になるとは思いもしなかった。何のために気付かれないように後を尾けて、如何にし
てびっくりさせるかと懊悩していたのやら……。
 こちらの胸の内など知る由もない初音ちゃんは、どこか嬉しそうにこう言った。

 「うん、さっきまでね、お友達と買い物してたんだよ。あ、でも私は何も買わなかった
けど……あのね、その子の妹さんが今度誕生日だからね、その誕生日プレゼントを選ぶの
に付き合ってたの……お兄ちゃんどうしたの?」

 どうして、その時俺は苦笑一つで恥ずかしい思いを払拭できたのかよく分からない。な
んというか……そこまで事細かに説明してくれる彼女が愛おしく感じたのだろうか。

 「いや、何でもないよ。それで、その子の誕生日プレゼントは決まったの?」

 「今日は下見だからまだ何とも言えないって言ってたよ。でもね、その子ったら妹さん
のプレゼントを探すために来たのにね、自分の欲しいもの見つけちゃって……」

 「で、『これ買っちゃったら誕生日プレゼント買えなくなる……初音ぇ……どーしよ?』
って泣きついてきたとか?」

 「あ、凄い、今のそっくりだったよ!」

 感心半分、おかしさ半分といった具合で笑う初音ちゃんの歩幅に会わせながら、俺は帰
途についた。


 「ただいま〜」

 初音ちゃんの帰宅時の挨拶は、やや語尾が伸びる。実は従姉妹達はみな、帰宅時の挨拶
が微妙に違うのだ。その辺を聞き分けられるようになるには長久の歳月を……って前遊び
に来た時――一週間程度だったか。暇を持て余している大学生ならではの技だ。
 三和土で靴を脱いでスリッパに履き替えると、廊下の向こうからエプロン姿のがやっ
てきた。
 柏木家の料理番であるこいつは、ほぼ毎日台所に立つ。台所は戦場だと昔何かで読んだ
記憶があるが、そうするとエプロンは言ってみりゃ戦闘服みたいなものだろうか。勇まし
いことこの上ない。

 「おかえりー……あれ、耕一も一緒だったの?」

 「うん、学校の帰り道で偶然会ってね、一緒に帰ってきたの」

 「そうだ、偶然だぞ。なんら意図的なところはない。ところで梓、今日の晩飯は?」

 「……シチューだけど……何でそんな偶然だってことを強調するわけ?」

 「細かいこと気にしてると大きくなれないぞ――いや、それ以上大きくなったら困るか」

 「……どこのこと言ってんだよ」

 「じゃ、初音ちゃんまた後でね」

 「う、うん……」

 「なんで無視すんのよ!」  

 切れる寸前で逃げる。この辺の見極め加減も俺ならでは、だ。伊達に十数年従兄弟やっ
てるわけじゃない。ま、多少音沙汰のない時期もあったけど。


 夕食ができるまでテレビでも見ていようと居間に向かったら、ちゃんがいた。四姉妹
中一番おとなしくて、恐らく一番賢い子であろうと俺は思う。

 「あ、楓ちゃんただいま」

 「……おかえりなさい

 居間まで来てただいまもないものだが、楓ちゃんはきっちりと挨拶を返してくれた。そ
れも微笑んで。これがまたたまらないのである。
 久しぶりに会った彼女は、どこか他の従姉妹達とは一線を画す存在であったが、あの事
件以来彼女は俺にも笑顔を見せてくれるようになったのだ。

 「そういえば……」

 「はい?」

 「楓ちゃんも、来年は受験だね。志望校とかは考えてる?」

 「……いえ、まだそこまでは」

 一瞬、俺を見つめる瞳に戸惑いの色が宿ったように見えた。

 「そっか……で、やっぱり大学は地元にする?」

 「…………悩んでます」

 「――てことは、もしかしてここを離れるかも知れないってこと?!」

 「…………」

 無言で頷く彼女。

 これには俺も驚いた。
 学力的になんら問題がない彼女ならどこの大学にだっていけるはずだ。それをわざわざ
水の味も吹く風の匂いすら違う都会の大学を選ばなくたって……って、どうして都会の大
学と限定してるんだ俺は。まぁそれはともかく、何を悩む必要があるというのだろう。そ
れに、離れた大学を選ぶと言うことは、この家を出て一人暮らしというケースも十分考え
られる。そんなことになったら千鶴さんはやんわりと反対、梓はぴしっと反対、初音ちゃ
んは寂しがって反対する、といった具合になるだろう。 

 「だけどそりゃあ……みんな寂しがるよ、きっと」

 「あ……あの、まだここを離れると決まったわけじゃ……」

 「へ? ……あ、そうか、まだ悩んでる段階だったね。はは、何言ってんだか俺は」

 苦笑で場を取り繕う俺に楓ちゃんも笑みを返してくれる。それにしても……

 「ただいまぁ」

 「あ、千鶴お姉ちゃん帰ってきた!」

 丁度大学の話が一区切りついたところに居間へとやってきた初音ちゃんが、腰を落ち着
ける前に玄関へ向かった。

 ――そういえば、千鶴さんはこのこと知ってるんだろうか……?

 なんてことを考えながら、俺も玄関に足を運んだ。これはもう日課のようなもので、家
族の誰かが帰ってきたら『お帰り』というために玄関に行くことにしている。今まで、言
われたことも言ったことも殆どなかったからな。楓ちゃんも後からついてくる。台所で夕
飯の用意をしている梓以外は皆家長のお出迎えというわけだ。なんだか凄い一家である。

 スーツ姿の千鶴さんはいかにもキャリアウーマンといった感じ……ではなく、どこかの
んびりとした、典雅な雰囲気を醸し出す会長秘書のように見える。それを聞いた梓曰く、

 『あんたそれ誉めすぎ。どう見たってとろい新人OLにしか見えないよ」

 容赦ない酷評だ。しかしそのとろい新人OLが鶴来屋会長を立派に務めているのだ。ま、
その辺は梓も分かってはいるだろう。俺は労うように声を掛けた。

 「お帰り、千鶴さん」

 「あ、耕一さん、ただいま帰りました」

 お仕事お疲れさまでした、と付け加えると、なんだか新婚の夫婦みたいですね、と言っ
て千鶴さんが頬を赤らめる。あ、目まで潤んでる。

 ――この人はもう……

 外見は楚々とした美人で中身は凶悪に可愛いんだからなぁ……年上だって事たまに忘れ
るよ。

 「もうすぐお夕飯だよ。今日はシチューだって」

 「そう、じゃあすぐ着替えてくるからね」

 自室に向かおうとすると、思い出したようにこちらを振り返って彼女はこう言った。

 「耕一さん、こちらにいる間にまた私の手料理を召し上がってくださいね」

 凍りついた。

 じゃ、また後でと廊下を歩く彼女の後ろ姿が、やけに楽しげに見えた……。

 「……そういえば千鶴お姉ちゃん、お兄ちゃんが帰って来るって電話があった次の日か
らお料理の練習してたみたい……」

 ややひきつった顔で初音ちゃんが教えてくれた。

 「――相変わらず、です……」

 その一言で伝えたいことが全て伝わってくるよ楓ちゃん……。
 どうして……何故なんだろう……なんでいつも俺がこの家に帰ってくると千鶴さんは手
料理を?! 人体実験なのか?! いや鬼体実験か。《調味料の魔術師》、《キノコキラー》
と彼女の料理の腕前を表す表現はかなり物騒なものが多い。誰がつけたかこのあだ名、何
を隠そう俺である。《お料理ちーちゃん》なんて可愛らしいもんじゃないのだ。
 俺はその場に立ちすくむ初音ちゃんと楓ちゃんの肩をそっと抱き、静かに宣言した。

 「……大丈夫、彼女のお手製料理はみな俺が引き受ける。だから二人とも安心してくれ
……みんなは、俺が守る……!」

 「耕一さん……」

 「お兄ちゃん……」

 あ、もう一つできた……《鬼殺し》。

 ――シャレにならんわ。


 「耕一、おかわりは?」

 「いや、もういいよ。ごっそさん」

 「はい、お粗末様」

 そういって梓は食器を下げる。初音ちゃんがそれを手伝い二人は台所へ。

 「ふぅ〜、もう入んねぇ……」

 普段の俺はそれほど大食いではないのだが、ここに帰ってくるとかならずおかわりをす
る。
 直接『美味い』といったことはあまりないが、こうしておかわりをすることが料理人に
対する最高の賛辞だと俺は思う。梓も俺がおかわりというと、

 『よく食うねぇ全く』

 と悪態をつきながらもどこか嬉しそうなのだ。
 ちなみに今日のシチューは二回おかわりをした。手製のドレッシングをかけたサラダも
大量にいただき、日頃の野菜不足をここで補う。
 身内びいきかもしれないけど、梓の料理は一般家庭のそれを遙かに凌駕するレベルであ
る。これは従姉妹達も同意見で、その気になれば店が持てると持ち上げると、

 『プロのレベルはこんなもんじゃないよ』

 と苦笑して取り合わない。大差はないと思うけどなぁ……。


 夕食後は居間でくつろぐ。ここがこの家のいいところだ。
 昨今の一般家庭というのは食事以外は家族が一堂に会することなんて滅多にない。みな
色々忙しいのだろう。しかし柏木家は一家の団らんというものを殊の外大切にする傾向が
見受けられて、年少組二人も帰宅すると真っ先に課題などを片づけてしまう。

 ――親父がいた頃からこうだったのかな。

 この問いは胸の内に留めておこう。

 チャンネルの選択権は特に誰と決まっているわけではないが、なんとなく俺が見たい番
組をみんなで見る形となる。本日のお茶の間に選ばれたのは某アニメ番組であった。

 「可愛いねぇ、柔らかそうだし……」

 「いや、あれでヤツは結構凶悪なんだ。電撃を放って攻撃したりするし」

 「見てきたかのように話さないでよ……」

 「何を食べて生きてるんでしょうか……」

 「――電池とか?」

 「まぁ、お腹こわしちゃいますよ」

 実に魂が癒やされる一時である。
 このままたわいない会話が続き、風呂に入り、十一時頃にみな各々の部屋に戻り、また
明日……というのが柏木家の夜なのだが、今日に限って別の要素が絡んでくることになろ
うとは、誰にも予想し得なかっただろう。


 奇妙なネズミもどきが大活躍する番組が終わると従姉妹達が風呂に入り出す。ちなみに
俺は夕食前に一番風呂を頂いている。こういうのは働いている千鶴さんか、部活で汗をか
いている梓あたりが優先されるべきだと先日話したら、

 『いいんです。耕一さんは柏木家の大黒柱なんですから』

 微笑みながら千鶴さんはそういってくれた。……何とも面映ゆい。
 とにかく、そういうわけで風呂の順番は、

 俺、千鶴さん、楓ちゃん、初音ちゃん、梓。

 と確定された。今入ってるのは楓ちゃんだ。

 適当にチャンネルを変えていると、大学受験のための予備校のコマーシャルが目に止ま
る。そこで先ほどの楓ちゃんとの会話が脳裏に浮かぶ。

 地元の大学を選ぶか、ここを離れて都会の大学を選ぶか――

 彼女が何を考えてそんな選択に苦悩しているかは分からない。訊けば答えてくれるだろ
う。彼女はそういう子だ。でも、その理由を訊くのがほんの少しだけ怖くもある。それを
訊いたら――今俺が心底大切だと思っているものを失ってしまいそうで……。

 そこで俺は一計を案じた。
 もっと家族の絆を強めよう、と。
 要するに楓ちゃんに『やっぱり家族っていいな。みんなと別れるなんてできない……』
と思わせるのだ。おお、我ながら素晴らしい思いつき! 闇灰色の脳細胞は腐っちゃいな
かった。ポアロもびっくりだ。

 しかし、家族の絆とやらはどうやって強めたらいいんだ? そういうものにあまり縁が
なかった俺は困惑する。困惑するが、すぐに解消した。
 家族みんなで何かをすればいのだ。これが男同士だったら麻雀や飲み会などで事足りる
のだが、うら若き婦女子相手となると……さて、どうしよう?


 「トランプ?」

 「おう。あんまりそういうことしたことないだろ、五人が揃ってる時は」

 梓の問いに答える俺の声は、やや不自然だったかもしれない。
 他に考えつかなかったんだよなぁ……このメンバーで遊べるものって。こういうとき、
真っ先に賛同してくれる子がいてくれて本当によかった。

 「うん、やろうやろう! 私お部屋からトランプ持ってくる!」

 「よし、参加者一名ゲットだ。梓もやるだろ?」

 「そうだね……たまにはそういうのもいいかも」

 「ここまできたらもう断れないよね、楓ちゃん?」

 「ふふ……はい、私も参加したいです」

 苦笑しながら、参加名乗りをあげる楓ちゃん。よし、もうあとは勢いでいけるな。

 「トランプですか……私あんまり知らないんですけど、耕一さん、教えてくれますか?」

 「そりゃもう、手取り足取り教えちゃうよ」

 「……やだ……耕一さんったら」

 ――ここは笑うところなんですが、千鶴さん……あ、耳たぶ真っ赤。

 「……あたしもあんまし知らないんだけどなぁ……耕一はそういうの詳しそうだね、教
えてよ」

 そういって梓が近づいてきた。む、胸を強調させるような格好をするな! ……なんか
千鶴さんに対抗意識燃やしてないか?

 「私もあまり……」

 か、楓ちゃんまで……でも彼女の場合は年長二人組と違ってヨコシマな意図は……ない
よね? しかしヨコシマな意図ってなんなんだ。

 「そうだな……人数を考慮すると、大富豪あたりがいいと思うんだけど」

     
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